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茶道細川御流・華道細川未生流 由来記 |
細川流開祖は約170年前、嘉永年間当時の大学者、頼山陽先生の門人に細川吟右衛門氏あり、先祖より代々が加賀前田公の礼儀指南役を勤めた家柄にて、三斎流を極めておられた吟右衛門氏は廣潮斎珠甫と号し町道場を開かれ、当時の民衆にも広く茶華道を指南されたのが最初にて、その後、たまたま弟子の一人で
京に住み、代々呉服を商う岸家四代目与兵衛氏が世上稀に見る数奇者で特に当流儀に堪能で見込まれ後継者とされた。
二代家元となった与兵衛氏は茶祖三斎公の精神に則りながらも当時激変する新しい時代の生活に即應した茶道について日夜研究を続けられ、格式高い武家点前の中にも新時代の民衆が要求する茶道を目指して精進を続けられ遂に新しい体系を持った茶道を編まれるに至った。又、そのお住まいの場所柄、祇園の祭礼
等、時には自宅を開放され華道展など催された。
この事を起こりとして在京宮家の御知遇を受け小松宮彰仁親王殿下より流名に冠する「御」の字を賜った。その後三代四代五代と続き九代家元として茶道寿庵、華道廣照斎寿栄甫が斯道の隆盛に努め現在に至っている。
当流の活花は格調高い生花の細川五行活け又、細川独特の水引結びをした若松を始めとして、盛花、投入、茶花等あくまで自然の花材、自然の姿、花々の命を大切にする気持ちを忘れずに、毎月一回開かれる家元道場での研究会に各教授が出席、研究創作活動が続けられている。 |
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